「世界的に有名な3つのアルファベットがあります。G、T、Rです。」

初代GT-R 2代目GT-R 3代目GT-R 4代目GT-R 5代目GT-R
初代GT-R

  1969年2月 純粋なレーシングカーR380(当時はプリンス)に搭載されたGR8型直列6気筒4バルブDOHC2000cc エンジンをベースに開発されたS20型エンジンを搭載した「スカイラインGT-R(PGC10型)」を発売。
そのカタログにはレーシング直系を印象付けるため、R380A-IIIも登場する。
外観でのスカイラインGTとの相違は、大きくなったタイヤサイズに対応するため、スカイラインの特徴であるリアフェンダーのサーフィンラインがオーバーフェンダー装着により大胆にカットされている他、軽量化のためウインドシールドをはじめとしたウインドウガラスが青色の熱線吸収タイプでは無いこと、さらにはリアの曇り止め用プリント式熱線も無いこと、モール類が装備されない点などが上げられる。
1969年5月 「'69JAFグランプリレース大会」クラブマンレース・特殊ツーリングカークラスにてデビュー―ウィン。ここから伝説は始まった。
1970年10月 GT-Rは運動性能向上のためセダンから70mmホイールベースを短縮したハードトップ(KPGC10型)へ変更された。
1972年9月 「'72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースまでに通算52勝を数える事となる。

2代目GT-R

  1973年1月 「ハードトップ2000GT-R(KPGC110型)」を発売。初代同様S20型エンジンを搭載し、専用ラジエータグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラー等を装備する他、ラジオが標準装備とされている。またこのモデルより以降のスカイラインの代名詞ともなるテールライトが丸型4灯となった。排気ガス規制の影響もあり僅か197台が生産され、うち195台が市販されただけで生産が終了された。
レースに出場することもなく(出場するレース自体が成立しなかった)、GT-Rは後のR32型の登場まで復活しなかった。

3代目GT-R

  1989年5月  16年ぶりにGT-R(BNR32型)が復活した。
かつてのGT-Rは自然吸気の1998cc直列6気筒4バルブDOHCエンジン(S20型)を搭載する後輪駆動(FR)であったが、R32型GT-Rでは、2568cc直列6気筒4バルブDOHCエンジンに2基のセラミックス製ツインターボ(RB26DETT型:280ps/6800rpm、36.0kgm/4400rpm)を搭載し、FRをベースとしつつも、高度な電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システム(アテーサE-TS)を搭載する4輪駆動車となった。
その結果、内に秘めたポテンシャルではイタリアの著名なスポーツカーを上回ると絶賛され、国内外のレースを席巻する事となる。
1990年全日本ツーリングカー選手権(JTC)に参戦したGT-R(グループA仕様)は、全戦ポールポジション獲得・優勝。翌年度より徐々に参戦車数も増え、当時「GT-Rに勝つにはGT-Rでなければ勝てない」と言われ、最終シーズンである1993年には7台のGT-Rが参戦することとなる。JTCシリーズ終了まで通算29連勝を飾った。また、N1耐久シリーズにもGT-Rで参戦。通算60勝を上げる。

4代目GT-R

  1995年1月 フルモデルチェンジによりBCNR33型(*)となる。改良されたRB26DETT型エンジン(280ps/6800rpm、37.5kgm/4400rpm)を納めたフロントには桟の無いラジエータグリルにGT-Rのエンブレムを配し、リアウイングは角度変更可能なタイプを採用した。サスペンション形式はR32型と同じくマルチリンクだが、前アッパーアームをI型からA型に変更し、後ダンパーのストロークを増加させるなどの改良が図られている。また、前後重量バランスを考慮し、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。標準車のほかには「GT-R Vスペック」、「GT-R VスペックN1」のグレードを展開。N耐参戦ベース車である「Vスペック N1」ではリアウイングがカーボン製となる等、差別化が図られている。

(*)GT-Rの車両形式が前回のBNR32からBCNR33へとアルファベットが変更された。R32型ではB=RB26DETT、N=アテーサ+HICAS、R=スカイラインの意味であったが、R33型ではB=RB26DETT、N=アテーサ、C=HICAS、R=スカイラインとなる。このモデルにだけ"C"がつくのは、R32型・R34型共にアテーサ装着車にはHICASが自動的に装着されていたのに対し、R33型GT-R以外のモデルではアテーサ装着車でもHICASが装着されていないモデルも存在したことにより、差別化のため”C”が表記されている。

5代目GT-R

  1999年1月 BNR34型GT-R発売。
Vスペックには量産車初のオートクレーブ工法で形成されたカーボンディフューザー等のアドバンスドエアロシステムを採用、鍛造18インチホイールを装備、トランスミッションは独ゲトラグ社と共同開発した6速MT、ブレーキはイタリアの名門ブレンボ製を標準装備する。エンジンは第2世代最後となるRB26DETT型(280ps/6800rpm、40.0kgm/4400rpm)はR390GT1で培われた技術を活用し、究極のドライビングプレジャーを名乗るに相応しい車に進化した。
当時のCOOカルロス・ゴーン(現日産CEO)の口から「日産で最も好きな車」と言わせしめた。
車内においてはコンソール中央にマルチファクションディスプレイと呼ばれる車両の状態を確認するモニターが搭載され、水温、ブースト圧などを表示することが出来る。(Vスペックと標準車では多少表示項目が異なる。)
2000年10月 マイナーチェンジにより内外装の一部変更、およびVスペックに替わりVスペックIIをラインナップ。
量産車としては初のNACAダクト付きカーボンファイバー製ボンネットフードを採用。その他色の変更、アルミペダル化、ターンシグナルランプのクリア化が行われた。
2001年5月 「GT-R M・spec」追加。リップルコントロールショックアブソーバーを採用したほか、専用の本革シートを装備し、専用色を設定した。

2002年1月 8月のGT-R生産終了を発表。
同時にテスト走行で使用した、ドイツのニュルブルクリンク・サーキットから命名された「Nur」を冠した最終特別限定車「M・spec Nur」、および「V・spec II Nur」を設定。この「Nur」にはヘッドを金色塗装されたN1仕様エンジン、N1タービン、シャフト、ピストンなどのN1用パーツを使用し、300km/hスケールのスピードメーターを装備。通常ならばステッカー式の後部グレードステッカーが立体エンブレムになり、製造番号シールもゴールドになっている。さらには専用色である「ミレニアムジェイド」を設定している。「Nur」は最終的に両グレードで計1000台の生産が決定し、1月24日発表日に即日完売(発売日は2月26日)してしまうという、第2世代GT-Rの劇的なラストを飾った


2002年8月 BNR34型GT-R生産終了。

・・・そして今、約束どおり我々の目の前に”GT-R”は復活した。
新たな伝説をまた紡ぐため・・・。
PRINCE of SKYLINE スカイラインの歴史は、日産プリンス福岡の歴史
ページトップへ戻る